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フクブログ

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名刺代わりに。


この本とは別に、キャリアデザインに関する本も読んだからだろうか、同じような部分が心に残った気がする。

著者はフリーの編集者。大学教授でもあり、都内で編集学校を主宰してもいる。そんな人の講義をまとめたのがこの本。もともと、具体的な編集術を述べたというより(著者なりのインタビュー術、文章術もあるけれど)、概論を語った感じ。ただし、テーマが「編集」だけあって、「編集」という概念が雑誌や本、ウェブなどのメディアを作ることに限らず、生活全般に広がりうるということを示していく。

編集の醍醐味は、常に未来に対し開かれたスタンスであり続けること、と著者はいう。別に読んだキャリアデザインの本でも「時には流されることも大事」とあり、非常に腑に落ちたのを思い出した。

著者の言葉では「先入観とかできあがった『価値観』ではなく、『反応する自分』でいたい」というのも印象深かった。別の箇所でも述べているのだが、著者の考える「編集」を成り立たせるには、まず、目の前の世界に対し謙虚さが求められる。素直に世界をとらえ、「おもしろい」と思えるかどうかから、著者の考える「編集」は始まるようなのだ。世界にあふれているはずの「面白い」モノ、ヒト、情報を集め編んでいく。その作業が人生を豊かにしないわけがない。だからこそ、この本の題は「僕たちは編集しながら生きている」になるのだ。

著者の講義を章単位でまとめた合間には、著者の講義を受けた若者たちの紹介もされている。中には現在、Tech系のブログで名前を見かける人や運営する店で買い物をしたことがあった人も。意外なところでリンクがつながった感じだ。

思えば自分の身の回りでも、著者の講義を受けてはいないだろうけど世界を編集しようとしている人は見受けられる。自分の周りを少しずつポジティブに変えていく人たち。そんな人がもっと増えてほしいし、自分もその輪に加われたら、と思いたくなる本だった。
# by fukuchanM | 2012-04-03 17:44 | 本・雑誌 | Trackback | Comments(0)

2010年春から夏にかけ、宮崎県内で爆発的感染となった家畜の伝染病・口蹄疫。感染拡大が止まらず、最終的には家畜への国内初のワクチン接種を実施、未感染の家畜を感染拡大の防壁代わりに殺処分してようやく収束した。

今作は29万頭の家畜を最終的に殺すことになったこの出来事をテーマにした芝居。役者自身が様々な立場の県民を取材、相手が証言した様を演じる「ドキュメンタリー・シアター」形式で再構成したそうだ。

もともとは一劇団単独の作品となるはずだったのだが、劇団主宰者が急逝。作品を完成させるため、急逝した主宰者を知る関係者が協力する形になったそう。結果、宮崎県の演劇界によるプロジェクトになった。

ドキュメンタリー・シアターという形式は初めて見た。開幕前から舞台には人がいて、観客を入れながら役者たちも自然に舞台に上がり、雑談をしているうちに話は口蹄疫に感染した農場のことになる。役者たちは農家や行政マン、首長や学者などに扮し、次々に独白するスタイルで舞台は進んだ。独白の順序にも工夫が感じられ、人間の都合で生き物を殺したことの意味を問い、県内の畜産農家が再生に向かう様もにおわせつつ、殺処分時に上空を飛んでいたヘリの音を響かせて舞台は終わった。

終幕後のアフタートークで語られて気がついたのだが、口蹄疫は関わった人によって見方がまるで違った出来事だったのだ。国の命令で未感染の家畜を殺すことになった農家や保育園(情操教育のため羊を飼っていた)の苦悩、そんな農家たちが補償をもらえるのをうらやむ(「自分たちは倒産しても国から金なんかもらえない」)殺処分を手伝った土木業者。食肉にならず処分された家畜を悼む僧侶、未感染でもどうせ殺すんだから同じだという獣医…。

「ドキュメンタリー・シアター」形式のこの作品は、なかなか再上演しにくいのではないか。本人そっくりに演じた役者の中から取材相手の記憶が消えてしまったら(取材中、録音はしていたそうだが)もう同じ演技はできないかもしれない。ワクチン接種を強要され家畜を殺すことになった農家役を、目を潤ませながらなりきっていた役者の演技は、そう考えるととても貴重なものに思えた。

しかし、消えるのもまたもまたよし、かもしれないとも思うのだ。この作品が保存される場所は脚本や舞台関係者の頭の中でなく、観客の心の中がふさわしそうだ。

今ここでしか見られない、メディアでは伝えきれない面を演劇という型を生かしていたように思う。演劇というフォーマットを生かしきり、複雑な事件を単純化せず、多面的に伝えた力作だった。
# by fukuchanM | 2012-03-30 15:36 | 鑑賞記 | Trackback | Comments(0)
先週上京した折に3カ所ほど展覧会を見てきた。


東京国立近代美術館フィルムセンターの「日本の映画ポスター芸術」(1.7-3.31)。1930年代から最近までの映画ポスターを展示。昔の映画ポスターというと主演がどーんと中央に載って下から囲むように助演たちの顔が並ぶ串団子型(…と制作者たちは言っていたそう)が多い気がするけれど、そうじゃないポスターもあったんだな。コラージュでモダンな雰囲気の小津安二郎「お嬢さん」(1930)、黒澤明の「生きる」もポスターは手描き絵で、主演のブランコに乗った志村喬と小田切みきがにこやかに笑っていた。劇中のブランコ場面の写真を使った最近のDVDパッケージなどより断然こっちが良くない?

主演の藤純子を美人絵風に描いた「緋牡丹博徒 お竜参上」(1970)はその後から現在まで主流になる俳優の写真を使ったポスターとの橋渡しのようで興味深かった。あと、 アート・シアター・ギルド(ATG) の一連の作品が洗練されているのは今見ても変わらず。カタログに制作者の話が載っていたけれど、ATG関連の作品は邦画と違い作品写真が少なすぎたため、作品のテーマを伝えられればいいからと作品とは無関係な写真を使っていたそうで…へぇ~。


国立新美術館では「第15回文化庁メディア芸術祭」(2.22-3.4)。入場無料だし終了直前だし週末だし、ということで場内は大混雑。入場制限もしていたけど、全部をじっくり見て回れなかったのがちょっと残念。だからと言うわけでもないが、わざわざ来た割りに見応えのあった作品が少なかった気も。インタラクティブ作品としてウェブサイトも多く展示されていたけれど、見たければ家からでも見れるし。押し合いへし合いしながらミュージックビデオを見るってのもなぁ。どうせ無料なんだから展示の仕方に何か工夫があってもよかったんじゃないか。

そういう点で宮崎での巡回展は、一部の作品をメーン会場周辺の街中で展示してみせてて、よかったんだなぁ。


そしてNTTインターコミュニケーションセンター(ICC)では「ポスト・インターネットのリアリティ展」(1.28-3.18)。こちらもメディア芸術祭と似た趣向の展覧会だったが、中身はこっちが充実してたかな。

グーグルの検索画面を絵にして展示風景をネットで公開したプロジェクトを再開しようとしたんだけど絵の所有者(グーグル!)が展示を拒否したため木の枠だけを展示した「ナチュラル・プロセス」という作品や、金太郎の姿で出没しツイッターで紹介されることを狙った「DJぷりぷり=金太郎」、時計と時計を撮影したビデオを並べて展示することで時間の意味を問う「夜の12時をすぎてから今日のことを明日っていうとそれが今日なのか明日なのか分からなくなる」などなど。イベント名とおり、ネットが普及した今の時代に現れてきたリアリティを表現していた。

映画からネットまで、デザインの変化を感じさせた3つの展覧会でした。
# by fukuchanM | 2012-03-13 11:08 | 鑑賞記 | Trackback | Comments(0)


3.11から1年になろうという今、9.11の喪失と再生を描いた作品が公開されている。いかにも海外文学っぽい響きの邦題(原題直訳だけど)が好みだった。内容も人を悼む意味を考えさせる作品で、上映後の館内は鼻をすする音があちこちで聞こえたなぁ。

9.11テロで最愛の父親を亡くした少年。空っぽの棺を埋葬する偽善的な大人たちに背を向け、父の部屋で見つけた鍵にあう鍵穴を探しに、ニューヨークの街に飛び出す。街の中で謎の探検を続ける息子を不安に思う母親をよそに、少年はしゃべらない隣の老人を相棒にしてついに鍵穴を見つけるのだけれどーという話。主人公であり語り手でもある少年の過剰な独白や、気持ちを落ち着かせるのにタンバリンが手放せなかったりブランコすら怖がったりする様などから、ちょっとオフビートな雰囲気が全般に漂う。相棒になる老人がまたいい味わいを出すんだな。

(以下ちょっとネタバレ)この話は、物語を駆動するモノ自体には実は意味がなく(「マクガフィン」ってやつですね)、語り手がそれまで語っていなかった秘密を告白するのが物語のクライマックス、という「叙述トリック」も使われている。ただ、こういった物語の構造が明らかになった途端、少年は自身が気づいていなかった、母親を中心とした周りの大人ー自分が「探検」で会った人たちーの愛情を知って再生していく。時が戻ればいいのにと言わんばかりの紙細工で父親への愛情を表しつつブランコを高く高くこぐ少年・オスカーの姿は人の成長をしっかりと示しているようで心に残った。

自分の心の奥を見つめ、周りの優しさを知ったとき、人は回復への一歩を歩みだすのでしょう。
# by fukuchanM | 2012-03-10 23:26 | 映画 | Trackback | Comments(0)
大学時代のゼミの学思会に出席してきました。

先輩後輩、そしてゼミの教授(今年85歳!)の近況を聞き、元気をもらったのでした。

その中で、近況報告をした後輩が「工場長をしてまして…」と自己紹介したんですが、その言葉&本人のいかにもそれっぽい雰囲気に「工場長!工場長!」と思わず声を出しちゃったんですね。自分だけでなく、周りの同級生も「彼いいねぇ」と高評価。ただ、彼とは卒入年次が重なっていないので同じゼミ生でも全く知らないんだけどw

自分の近況を話したら、ずっと上の先輩から「詳しく話を聞かせてよ」と名刺をいただいたりもしたなぁ。

交流が深いのは自分が学生だった時の直近の先輩後輩が主なんだけど、最後のゼミ生が社会人になって何年もたった今、自分の中で交流を求めようとする範囲が広がってきた気もする。同じゼミ生という一体感が強まってきたというか…。

来年はもう少し、いろいろな人に声をかけてみようかな。酒の力を借りて(←臆病者)
# by fukuchanM | 2012-03-05 10:35 | 雑記 | Trackback | Comments(0)
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